インカレ水泳とは、水泳競技大会で初めて天皇杯が授与された日本最古の水泳大会。
大正10年(1921年)、万朝報新聞社が、社の催しとして大学対抗の水泳競技会の開催に乗り出し、三笠園池で全国各大学対抗競技会を開いた。これが、日本のインターカレッジの始まりである。
この大会がきっかけとなり各大学が練習を強化。全国学生水上競技連盟が生まれ、さらにその推進力から後に日本水泳連盟創立の運びとなった。結果、この大会から数々のオリンピックメダリストを生み出し、日本水泳界の発展に繋がっている。
当初、男子のみで始まった大会だったが、昭和41年(1966年)第42回大会からは女子の選手権も争われている。
インカレ水泳とは
男女個人13種目、リレー3種目で行われ、各個人種目ごとに各校3名を上限にエントリーします(リレーは各校1チーム)競技日程は4日間。
予選・B決勝・決勝が行われ、決勝とB決勝では順位ごとにポイントが割り振られ、その合計ポイントで男女の総合順位が決定する。※ポイント下記表参照
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | |
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決勝 | 20 | 17 | 16 | 15 | 14 | 13 | 12 | 11 |
B決勝 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
リレー決勝 | 40 | 34 | 32 | 30 | 28 | 26 | 24 | 22 |
リレーB決勝 | 16 | 14 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 2 |
男女別で上記のポイント合計上位8大学が「シード校」となる。
学生の応援席は、シード校のみプールサイドに設けられ、スタート台側から男子昨年1位、女子昨年1位というように始まり、8位まで順に並ぶ。
また、決勝出場選手の入場の際、シード校のみが、決勝入場ルート沿いでの応援を許され、共に過酷な練習に耐えてきた仲間へハイタッチで気持ちを注入する。これが学生にとってのステータスであり、このハイタッチのためにチーム全員の力でシード校入りを目指す。
個人戦とは違い、母校の誇りという重い責任を背負い仲間のため、チームのために戦うインカレ水泳の応援は日本一盛り上がり、他の大会とは全く違う熱気で会場が包まれる。
ほぼ365日生活と練習を共にした4年生の多くが、この大会を最後に引退してしまうため
「競技生活の最後を日本一で終える!!」この思いを選手もマネージャーもチーム全員が理解しているからこそ、レースだけでなく応援にも死力を尽くすのだ。
辛い場面での本気の応援が、最後のひと踏ん張りに影響し好記録にもつながる。各校オリジナルの応援も、この大会の魅力のひとつである。
さらに、インカレ水泳のポイントは“リレー”。
配点が倍となり、引継ぎ違反などがあると一気に順位が落ちてしまう極限の戦いが、毎日最終種目に行われ、泳ぐ方も応援する方も全力になる。選ばれた4名の代表選手が大学の威信をかけて挑む“究極のチーム戦”であり、リレーの結果次第で選手権の行方が決まる。